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白川方明「為替レートと金融政策」

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白川方明「中央銀行」(2018年10月)東洋経済新報社
第14章 「六重苦」と「通貨戦争」

円高は私の総裁在任の大半の期間において大きな政策的論点であった。第9章で述べたようにデフレ対策の要求も強かったが、円高阻止の要求の方がはるかに大きかった。「デフレ対策」は「景気対策」とほぼ同義に使われ、多くの企業経営者は金融政策だけでは景気は良くならないことを直感的に理解していたのに対し、為替レートは日本銀行の大胆な金融緩和で動かせるはずだという考え方が強かったからである。為替レートと金融政策の関係は「通貨戦争」という言葉が示すように、国際的な政策論議においても大きなテーマであった。

2000年以降の為替レートの動き
本章では私の総裁在任の5年間における円高をめぐる議論を、体系的、包括的に取り上げてみたい。

外国為替取引の中心は圧倒的に資本取引にもとづくものである。金融機関や投資家は各国通貨建ての資産の収益率やその分散を勘案しながら、また一方で、為替レートの変動を含めリスクが顕在化した場合の自らのリスク・テイク能力を勘案しながら、資産の選択を行っている。金融市場のグローバル化が進展する中で、為替レートは財・サービスの取引である経常取引の結果というよりも、そうした資産選択の結果として決まるようになっている。

財・サービスの輸出入という面では、対ユーロ、対アジア通貨をはじめ、多くの通貨との為替レートも重要である。実際、日本の有力電機メーカーの首脳が私との個人的な面談の中で最も苛立ちを見せていたのは、対ウォンでの円高であった。

2007年7月~2012年7月の円高局面に匹敵するような、これ以前の円高局面は1990~1995年春にかけての5年間であった。この時の円高は、期間の面でも、最も上昇した為替レートの水準の面でも、2007年7月以降の円高と似ていたが、ピーク時の円高水準は比較的短期間で終わったという点では異なっていた。

2007年7月以降5年間の円高の要因は、圧倒的にグローバル金融危機や欧州債務危機の影響であった。グローバル金融危機は具体的には2つのルートを通じて円高をもたらした。ひとつは不確実性の高まりによる安全通貨買いである。このことは、円高局面の始まりがバリバショックの発生前月である2007年7月、終わりがユーロ危機のピークである2012年7月であったことに端的に示されている。もうひとつは内外金利差の縮小である。

「安全通貨」としての円
安全通貨(safe-haven currency)として円が買われたということは、日本経済の将来に対して悲観的な見方が多い中で一般にはすんなりとは理解されなかった。

「日本は財政事情も深刻で、潜在成長率も人口の減少によって低下しているにもかかわらず、なぜ、安全通貨として円が買われるのか」というのは総裁時代に最も頻繁に受けた質問のひとつであった。

外国為替取引においては、ある通貨が絶対的に安全であるかどうかは重要ではない。市場参加者が意識するのは、他の通貨と比較した相対的な安全性である。しかも、長期的視野ではなく、当面どの通貨建ての資産に「逃げておく」ことが賢明かという選択である。世界中の投資家や企業は常にそのことを考えている。

一国の外貨準備を運用する各国の政府や中央銀行も例外ではない。特に、新興国や産油国のソブリン・ウェルス・ファンドはそうである。為替レートは複数の通貨の交換比率であることから、安全性に関する評価の差は為替レートの変動となってあらわれる。

グローバル金融危機において通貨の安全性を左右する最も大きな要素のひとつは、一国全体としての外貨の資金繰りである。その面で日本は「要塞」のように強固な国であった。何よりも、経常収支は毎年黒字を計上しており、そうしたフローの累積である対外純資産額は2010年末時点では251.5兆円と世界最大であった。中国の対外純資産額は日本に次いで世界第2位の規模を有していたが、通貨に対外交換性がないことや法の支配に対する安心感がないため、安全通貨にはなりえなかった。ドイツは世界第3位であったが、ユーロ圏自体が危機の震源地であったため、ユーロが安全通貨として選ばれることはなかった。

投資家が安全通貨に期待する基準としては、対外交換性を有していること、金融市場がある程度の規模を備えていること、紛争が生じた時でも法の支配が貫徹していること、外貨の資金繰りにも不安がない国であることなどであろうが、こうした基準に照らすと、スイスフランも円と並んで安全通貨に選ばれることになった。

プロクシー・ヘッジ(proxy hedge)
他通貨の上昇圧力を円が吸収したという点では、人民元の影響も挙げられる。人民元は2005年7月に通貨バスケット制に移行した後も上昇を抑制するために中国政府の為替介入が続き、さらに将来の人民元上昇の為替リスクをヘッジするため、長期的にはある程度の連動性があるとの想定のもと自由な為替取引が行える円を代わりに買う、いわゆる「プロキシー・ヘッジ」(proxy hedge)も行われていた。こうした取引も円高をもたらした。

内外金利差
内外金利差の縮小が円高をもたらした。為替レート変動を左右する重要な要因は内外金利差であり、さらにはそれを左右する先行きの金融政策スタンスの差である。

グローバル金融危機や欧州債務危機によって世界景気が後退すると、それぞれの国で金融緩和措置が講じられ、金利水準全般が低下する。日本も例外ではない。ただ大きな違いは、低下幅が限られていることであった。というのも、危機発生時点で短期金利はすでにゼロ金利制約に直面しており、低下余地はほとんど存在していなかった。長期金利は短期金利よりは高い水準にあったが、世界では最も低い水準にあり、低下余地にはおのずと限りがあった。言い換えると、内外金利差は縮小することはあっても、日本の金融政策によって主体的に拡大させることはできない領域に位置していた。

円安誘導策としては、デンマークやスウェーデンの中央銀行がマイナス金利を導入して以降、決定会合でも2012年頃から当座預金に対するマイナス金利の設定が議論されるようになった。しかし、これによって民間銀行の預金金利をマイナスにすることができたとしても、マイナスにできる幅は限られている。というのも、もし、預金金利のマイナス幅が大きくなれば、預金者は銀行から預金を引き出し、現金を保有する可能性が高いと考えられるからである。したがって、マイナス金利を導入しても内外金利差を有意に拡大させることができるとは私には到底思えなかった。

金融市場参加者は内外の中央銀行の金融政策の運営スタンスに注目している。その金融政策の運営スタンスは、最終的には政策金利である短期金利の将来にわたる経路であらわされる。

将来の短期金利について、日本銀行はゼロ金利を継続する考えを表明していた。また、仮に日本銀行が将来の短期金利についてフォワードガイダンスを行っていなかったとしても、内外の経済状況から見て、短期金利は当分の間ゼロ金利が続くとの予想が支配的であった。日本の長期金利がきわめて低いという事実は、まさにそうした市場参加者の将来の金利予想を反映していた。

FRBは金融緩和を行う際、長期国債を買い入れるという方法をとるにせよ、あるいは、フォワードガイダンスという方法をとるにせよ、自国金利安の方向でイールドカーブの差を変化させることができる。その結果、FRBは金融緩和によって自国通貨安をもたらすことが可能であった。他方、日本銀行にはFRBの金融緩和の結果生じる金利差の縮小を相殺する手段がない。円高はそうした厳然たる現実を反映していた。

しかし、このことは為替レートをめぐる議論において意外に理解されていない。この点で、日本銀行と同じような状況に直面していたのはスイス国民銀行である。同行のフィリップ・ヒルデブラント総裁とは共通の関心事項である自国通貨の上昇について、しばしば意見交換を行った。ゼロ金利成約に直面する中で自国通貨の為替レート安は金融緩和効果が波及する際の有力なルートのひとつであったが、両国ともそうしたルートに頼れないという点で共通していた。上述のように、円やスイスフランが安全通貨として選ばれるひとつの理由は、対外純資産の大きさ等の本来的な理由にもとづくものであるが、もうひとつの理由は、ゼロ金利成約に真っ先に直面し、金利水準全般が最も低いことにあった。

日本における為替レートの変動要因に関する議論は、グローバルな経済、金融情勢の中でさまざまな通貨の為替レートの変動を観察し、その中のひとつの動きとして円の為替レートの変動についても理解するという視点が全般に乏しいというのが私の印象である。

●「N-(マイナス)1問題」
日本やスイスが直面したこの問題は、ノーベル経済学賞を受賞したロバート・マンデルが50年ほど前に「過剰決定問題」(redundancy problem)、「N-(マイナス)1問題」という言葉で指摘したことである。世界の国の数がNであれば金融政策もN個存在する。他方、為替レートは通貨間の交換比率であるため、Nマイナス1個しか存在しない。したがって、仮に各国が金融政策で最適な為替レートを追求すれば、必ずどこか一国、自国通貨の為替レートの水準を選べない国が存在する。マンデルがこの問題を提起したブレトンウッズ体制のもとでは、このN番目の国としては米国が想定されており、各国が自国の最適を目指す一方、米国が基軸通貨国として世界経済の最適を目指して自らの金融政策を運営すれば、結果として各国経済も世界経済も最適な状態が達成されるということは、少なくとも理論的には整合性があった。私は学生時代にマンデルの議論にはじめて接した際、この考え方は理論的には理解できたが、これが現実的な意味のある論点となりうることについては想像力が働かなかった。しかし、総裁時代の円高の経験を通じ、マンデルの提起した問題は現実感を持って理解できるようになった。ただし、実際にN番目の立場に立たされた国は米国ではなく、日本やスイスのような国であった。

●「マンデル・フレミングの理論」
この間、皮肉なことに、国会の質疑では、同じくマンデルの大きな学問的業績のひとつである「マンデル・フレミングの理論」にもとづき、日本銀行の金融政策が批判された。「マンデル・フレミングの理論」は資本移動のもとでの金融政策と財政政策の効果の違いに光を当てている。これによると、変動為替レート制においては、緩和的な金融政策は金利低下に伴う資本流出から自国通貨安をもたらすことによって景気を刺激するのに対し、積極的な財政政策は金利上昇に伴う資本流入から自国通貨高をもたらし景気刺激効果を持たない。したがって、日本銀行は積極的な金融緩和政策を展開するべきであり、そのためにはマネタリーベースをもっと拡大するべきという主張につながっていった。

私はこの議論には賛同できなかった。財政政策については、日本銀行がゼロ金利政策をとっていることから、財政刺激効果を相殺する金利上昇は生じない。また金融政策については、2つの重要なポイントが無視されている。ひとつは前述のとおり、ゼロ金利制約に直面し内外金利差を拡大させることができない国の苦しみであり、もうひとつは、各国がそうした金融緩和政策を展開した場合の世界経済全体への影響である。後者の点については、「通貨戦争」(currency war)というセンセーショナルな言葉で議論が行われた。