「日本的特殊性」と日本排斥論(1991)
【個人的な意見】
私もこの時期、ある米国人から敵意を含んだ日本批判を受けたことがあるので、重原久美春の「ジャクソンホール報告」の雰囲気はよくわかる。米国の「日本排斥論」に対し、日本は自らの立場を弁明し、正当化するために「日本的な特殊性」を唱えた。それは経済や政治制度だけなく社会慣行や自然環境に至るまで「日本的な特殊性」を強調するもので、その「理解」を求めた。
(1)第2次大戦後の日本の経済学は「講座派」の影響が強かったので、対外的な緊張の中で自らを正当化しようとしたとき、講座派的な「日本=特殊資本主義論」と「生産力主義」に通じるような自己充足に陥り、その当時の「日本異質論」「日本排斥論」を助長する結果を招いた。
(2)「日本的な特殊性」を強調した自己弁解は、日本だけの「特殊理論」ではない。このあと2010年の欧州債務危機の際には、欧州中央銀行(ECB)を含めユーロ圏当局は域内調整の難しさなどを主張し、欧州危機のインパクトの波及や対応の拙さに対するいかなる批判に対しても強硬に反論する傾向があった。特殊性論で反論するのは、他国から見た場合、直面する問題を真剣に受け止めずに回避しようとしているように映る。
重原久美春のジャクソンホール報告(1991年8月)
1991年9月13日の日本銀行役員連絡会、同年9月17日の日本銀行政策委員会において
重原久美春日本銀行金融研究所長が非公式に行ったジャクソンホール報告
重原久美春「日本銀行とOECD」(2019)中央公論事業出版(p.203 - 211)
本日は、米国カンザスシティ連邦準備銀行が開催した国際コンファランス、そしてその直後にストックホルムで開催された「世界経済における日本」というテーマの国際コンファランスに出席した時のことにつきましてご報告します。
米国のカンザスシティ連邦準備銀行は、例年8月の公開市場委員会(FOMC)が終わった後、連邦準備制度の議長、副議長、理事、各地区連邦準備銀行の総裁などのほか、主要国の中央銀行の総裁やその他幹部、米国内の一流の民間研究所所長、著名な学者、そして一部のジャーナリストを集めて大がかりなコンファランスを開催しています。
今年もFOMC開催直後の8月24日~25日、いつものとおり、ワイオミング州のジャクソンホールにあるロッジで開かれました。今年はロジャー・グッフィ総裁が9月に退職する前の最後のコンファランスということで、一日目はグリーンスパン議長、二日目はカナダ銀行のジョン・クロウ総裁が議長を務め、ゲスト・スピーカーもヴォルカー前議長をはじめ、各国から例年にも増して大物を揃え、「貿易・通貨圏の政策的インプリケーション」というテーマで討議が行われました。主要議題はお手元の第1ページの右の方に掲げてありますが、第一セッション「自由貿易圏の動きの評価」では、マサチューセッツ工科大学教授のポール・クルーグマンが提出したペーパーを巡って議論が行なわれました。
※ Paul Krugman, "The Move toward Free Trade
Zines"
ポール・クルーグマンは2008年度ノーベル経済学賞を受賞した。
クルーグマンは、ここ数年いわゆる「新しい貿易理論」(New Trade Theory)というものを打ち出し、アダム・スミス以来の伝統的な自由貿易論に対して、不完全競争と規模の利益の存在といったことを前提にすると、管理貿易の方が経済厚生が高まる場合があることを理論的に唱えて注目されている新進気鋭の学者です。・・・今回彼が提出したペーパーで述べた主要なポイントは以下のとおりです。
(1)自由貿易体制が最善であるが、GATT体制は崩壊してしまった。
(2)自由貿易のルールを自らは守らず自由貿易体制にただ乗りしている国がある-それは日本だ。
(3)欧米には日本に対する根深い不信感(deeply distrust)がある。
(4)自分は「日本は根本的に異質だ(fundamentally different)」というのが事実だと信じている。
(5)しかし、それが事実であるかどうかは問題ではない。日本が異質であると思われている(perception
がある)、それだけで日本を我々のクラブから追い出すべきである。
(6)地域貿易圏の大きな特典は日本を除外出来ることである。その上で欧米の中で通用する地域貿易圏のルールをによって貿易をするべきだ。
これに対して、コメンテーター役であった米国の国際経済研究所長のフレッド・バーグステン(カーター政権時代の財務次官補)は、次のように述べました。
(1)多くの欧米人が日本人に対して根深い不信感を持っているのは事実である。
C. Fred Bergsten, "Many Americans and Europeans certainly do deeply
distrust the Japanese".
(2)ただ、だからと言って、こうした不信感を制度化する(institutionalize)のは間違いだ。こうした不信感とは戦わなければならない(combat)。そして、日本人もやがて今よりも日本人でなくなる(less
Japanese)であろう。
(3)力をつけつつある国を包摂(accommodate)するのではなく、これを排除しようとすると、大きな紛争を招くことは世界の歴史が教えてくれるところだ。
また、このセッションでは、フロアにいたフランス銀行総裁のジャック・ドラロジエールが特に発言を求めたました。実は、クルーグマンのペーパーには、「誰しもフランス人は好きになれない。しかしながら、フランスに対して他の欧米諸国はどうしようもないような不信感を持っているわけだはない。しかるに日本人となると、全く異質だ」と書いてありました。ドラロジエールはこれを捉えて、次のように発言しました。
「不信というのは結局理解不足(ignorance)から生ずる。フランスとドイツの間には長い間憎しみあい(hatred)の関係があった。こうした関係を根本的に変えたのは、ドゴールとアデナウアーが第二次世界大戦後に打ち出した独仏協調路線であった。国家間の根深い不信を除くには、政治指導者のリーダーシップが何よりも大切である。それなのに、クルーグマンのような一流学者がこうした主張をすることは、政治的にも悪用されやすく、非常に危険だ。」
OECD一般経済局長であった時からジャクソンホール・コンファランスの常連として参加してきた私も言いたいことは山ほどあったのですが、フロアにあった一日目には意識して黙って聞き流し、二日目に予定されていたスピーカーとしての自分の出番を待ちました。
私が出た第五セッション、つまり「貿易・通貨圏の世界経済に対するインプリケーション」に関する討論について申し上げますと、カーネギー・メロン大学のアラン・メルファー教授がペーパーを提供しました。・・・メルファーの主張はおおよそ次のとおりでした。
(1)第二次世界大戦後の自由主義経済圏の繁栄は、米国が覇権国として作った、世界政治・軍事・貿易・通貨の体制の下で生まれたものだ。
(2)その結果として、米国の経済力は相対的に低下した。今や、米国は軍事面では強力であるが、通貨の安定の面では日本、ドイツに劣る。一方、日本とドイツは、世界の平和のための警察の役割、そして自由貿易体制の護持・推進ということになると、それがコストを伴う場合には特に消極的である。
(3)今後の自由主義経済圏の繁栄維持のためには、米国、日本、ドイツが、国際政治・軍事体制、貿易体制、通貨体制、の三つの面で新しいルールを作り、コストを分担しなければならない。
もっとも、こうした新しいルールとしてメルファーはどういうものをイメージしているかは明示しませんでした。
これを受けて、私のスピーチの番になりましたが、檀上で私の隣に座った議長役のカナダ銀行クロウ総裁からは、予め、「一日目の日本締め出し論もあって今日は貴方がどういうスピーチをするのか、皆が注目している。今日のハイライトだ」と言われておりまして、嬉しくない役回りでありました。
私のスピーチでは、クルーグマンとメルファーの主張を視点に入れ、日本の国際政治と経済の両面における役割分担と発言権確保の問題、地域統合を巡る問題、更には貿易摩擦問題と関連付けて日本の貯蓄率と経常収支黒字をどう捉えるべきかという問題、などについて論じました。
なお、私のスピーチのごく一部ですが、『ヘラルドトリビューン』紙に報じられたほか、先週木曜日(9月12日)の時事通信「金融財政」版に2ページに亘ってこのエッセンスが報じられておりますので、もしかすると皆さんのお目に止まったかと存じます。ただ、時事通信の記事は、私が「黒字有用論」を述べたというような大見出しになっており、その点はやや不本意で、その後「英文日経」に紹介された「貯蓄有用論」が私の本意であったことを付け加えさせて頂きたいと存じます。
最後のセッションは、ポール・ヴォルカー、ドラロジェール、そして世界銀行総裁チーフエコノミストのローレンス・サマーズのパネル・ディスカッションでした。
これに関する質疑の時に、フロアにいた野村総合研究所の鈴木淑夫副理事長が手を挙げて、「東アジアで貿易問題を交渉するグループを作る構想がある。これは貿易ブロックを作るものではなく、GATT体制を守るための交渉団体のようなものだ。ただ、欧米が保護主義的になれば、東アジアもブロック化へ否が応でも追いやられる」と発言しました。
これに対して直ちにバーグステンが、
(1)こうした交渉団体を作る動き自体が危険だ。
(2)もともと内向きな欧州共同体(EC)をますます内向きにしてしまう。
と批判しました。
一方、サマーズは現実論としては、地域統合はやむを得ざる選択の道であると述べ、意見は対立のままで終わりました。
カンザスシティ連邦準備銀行のコンファランスから帰国して東京で数日過ごした後、9月5日~6日ストックホルム経済大学が主催した「世界経済における日本」と題する国際コンファランスに出席しました。
1991年9月のストックホルムの国際コンファランスの報告
・・・欧州と日本側からそれぞれ政治指導者も出席されることになっており、日本からは当初宮澤喜一さんが予定されており、これに私がもう一人の日本人基調講演者として参加することになっておりました。しかしながら、宮澤さんは結局来られず、当初アカデミック・セッションのみに参加予定であった小宮隆太郎・東京大学名誉教授と私が日本側の基調講演者になりました。
最初のスピーカーは、アンドレアス・ファンアクトさんでした。オランダの元総理大臣で、福田赳夫さんなどと共にOBサミットのメンバーです。1980年から2年半ばかりECの駐日大使をされ、現在はECの駐米大使をされている人で、極めてバランスのとれた立派なスピーチをされました。
(1)欧州人は、日本人に対して複雑な気持ちを持っている。第二次世界大戦によって灰燼に帰した日本がここまで経済発展を遂げたことに対する尊敬の気持ち、恐怖の気持ち、そして羨望と妬ましさの気持ちもある。
(2)しかし、自分は、日本を排斥するのは間違いと思っている。また、最近における日本の対EC貿易黒字の拡大や日本とECとの間の直接投資の一方通行などを巡る、欧州の対日批判は謂われ無いのが多いと思うが、全てが根拠のないものであるわけでもない。
(3)いずれにせよ、欧州と日本の相互理解、お互いに学び合うことが大切である。
小宮教授は、戦後の日本経済の発展を振り返って、米国の対日バッシングに対して反論すると共に、欧州の対日理解不足をかなり厳しく批判されました。
このほか、スウェーデン財界の有力者ベルティル・ハグマン、スウェーデン大蔵次官エリック・オスブリクはかなり日本に対する外交辞令の多いスピーチを行い、カンザスシティ連邦準備銀行の国際コンファランスとは雰囲気が大きく違っておりました。
私は「国際貿易・通貨体制の新展開と政策課題」と題して約30分のスピーチをしました。幸い、ファンアクトさんなど、欧州の方々、参加した日本の学者なども評価してくれ、スピーチの後ファンアクトさんからはすぐに講演原稿のコピーをくれないかと頼まれました。
なお、小宮先生のスピーチは傍聴していた日本の学者が後から言っておりましたが、ややナショナリズムが強すぎ、パネル・ディスカッションの際、ファンアクトさん冒頭手を挙げ、「自分のスピーチには相当欧州に対する自己批判を含めた積もりであるが、小宮教授のスピーチを聞いていると、日本には何も改善すべき点はないと主張されているような印象を受けた。本当にそうなのか」と質問され、これに対して小宮教授は再び欧米は日本を理解する努力に欠けているという見解を強く、しかもかなりの時間をかけて、述べられました。
アカデミック・セッションでは、日本経済の多様な側面について日本および欧米の学者が参加して議論が行なわれ、日本の学者もこれ程まで幅広くかつ大規模な日本に関する国際コンファランスは初めてだと言っておりましたし、スウェーデン側のもてなしは大変素晴らしいものでした。
カンザスシティ連邦準備銀行コンファランスにおけるドラロジエール・フランス銀行総裁の言ではありませんが、「国家間の不信は無理解から生ずる」という面があり、我々としても自己主張をもっとする必要があると共に、相手方を理解する努力を、アジア、米国、欧州の三極間で更に進めなければならないと、この二つのコンファランス出席を通じて痛感いたしました。
この点、中央銀行業務をやや超えている面もありますが、私なども中央銀行員というよりも前に、まず日本社会の一員という意味で更に微力を尽くさねばならないと思っております。
なお、余計なことですが、私が個人的な資格で書いた駄文もOECD事務総長を始めとする国際機関の友人達や主要国の政府・中央銀行などの首脳陣などに送り、彼らのコメントを得ようと思っており、これを基に私なりに意見交換を進めるつもりです。同時に、貿易・通貨の地域統合の問題などを含めての日本政府の要人とも意見交換を進めたいと考えております。